2014年04月26日
『 凡愚にも言葉が友よ春の風 』TAO交心
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★ TAO交心wy2001
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凡愚にも言葉が友よ春の風
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凡愚にも言葉が友よ春の風
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> ・・・ひとにあきらかに申すべき身にもあらず候ふ。 親鸞
雲人さん、いつも交心とサポートありがとうございます。
知る楽しみと言葉遊びの喜びを余生の慰戯と遊泳していることの無恥ぶりを親鸞さんにたしなめられているような気がしますけれど、無恥厚顔鈍重凡愚老仁ですから、蛙の面で、遊びつづけさせてもらいます。貧しき凡愚の身で手に入るものは言葉くらいのものです。今の世はありがたいもので、凡愚老仁でも簡単に言葉を手に入れることができます。親鸞さんの「ご消息」というのも検索すればすぐ手に入るのですね・・・
言葉を手に入れても覚える片一方からつぎつぎ忘れていく老いぼれの域にのめりこんでしまっていますけれど、覚えてすぐに使える言葉遊びを楽しませてもらえれば十分にHappyなので、明日はもう忘れてもいいんです。今日の言葉の使い方が間違っていてもいいんです、今日の遊びですから。
けれど、独り遊びなら、「ひとにあきらかに申すべき身」ではないでしょう、と親鸞さんに怒られているのでしょうね・・・
それでも、怒られてもいい、それが凡愚老仁のあるがまんまの今の身だから、開き直って、遊びつづける我が儘無知を遊ばせてもらいます。
あんたの言葉遊びなんぞは子どものままごと遊びと同じで、たわいもないことだから、誰も文句はいいませんよ、気がつきもしないで人は通り過ぎていくのだから、好きなように言葉遊びしなさい、と遊行菩薩さんが微笑んでくれました。
遊行菩薩さんありがとうございます。
凡愚にも言葉が友よ春の風 仁
老いればなおに言葉は灯し
なにごとも忘れゆくばかりで、ついには自分のことも忘れてしまう惚けを待つ身なれば、親鸞さんも、ようそこまで生きてこられたものですね、と惚けを微笑んで迎えてくれるかもしれません。迎えられなくても、一定地獄も棲み家ですから、自らに微笑んで死んでいけるように、最後まで言葉遊びを楽しみましょう。
もう目もずいぶん悪くなりました。
歯はなくなりましたし、腰は伸びませんし、足は引きつってしまいます。親鸞さんはまだ85歳になってもご消息書かれていますから、鍛えられた体と精神力に驚きます。
凡愚老仁は体も心も鍛えていませんので、あんまり遊びすぎて、案外、ピンピンの内に、心筋梗塞でコロリと逝ってしまうのかもしれませんけれど・・・
法然さんは「浄土宗の人は愚者になりて往生す」とおっしゃったのですか。ならば、浄土宗の人でなくても、ただの愚者でも、「必定往生すべし」なのですよね。猿さんも犬さんも、蛙さんも蛇さんも、菫さんも薔薇さんも、みんなみんな命は往生するんでしょうね。
死は元素に戻ることなのでしょうから。
猿さんも蛇さんも薔薇さんもそして人も大地に戻って、元素に戻って、また巡り巡っていろいろのものに生まれ変わっていくのでしょうね・・・
往生するというのは、きっと、新しい生へ往くことなのでしょう。
凡愚老仁は無知無恥で幼稚なので、シンプルに死んだら何か新しい命に生まれ変われるんだと信じるとそれだけでもHappyになれるんですよ。そう考えられる今がHappyなんでしょうけれど、死ぬ間際までそう考えて言葉遊び楽しんでいきたいと念じています。
だから、そのまんま575交心遊びで、猿さんにも犬さんにも、蛙さんにも蛇さんにも、菫さんにも薔薇さんにもなって、西行さんにも芭蕉さんにも、一休さんにも良寛さんにもなって、雪女郎さんにもあなたにもなって、言葉遊びを楽しんでいこうと念っています。惚けて色々のものになれることはある意味自然法爾に近くなるのかもしれません・・・
春よ来い花の君には蝶の吾 仁
夢閨さんには森女さん添う
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★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
Posted by 青柳仁 at 19:56│Comments(0)
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